横浜市都筑区の女声合唱団ハッピーたいむのブログです
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Mezzo 管理人記
3月11日金曜日、午後2時46分に、それは起こりました。
この日は、コーラスの練習日。
私達コーラス仲間は、練習後、いつものようにランチをして、お茶を飲みに阪急の喫茶店に。
それぞれに注文をした直後、突然、横揺れが
それは、いつもの揺れとは違い、次第に大きく、そして長く揺れていました。
客の中には、呆然と立ちすくむ人、いの一番に外に飛び出す人、逃げ出す準備をしてる人、
テーブルの下に頭隠して尻隠さずの人(私です)・・・等等
皆が一様に、いつもと違う地震の大きさに、判断がつかない様子でした。
館内放送では、ビルは耐震構造なので、ご心配なく!と流れるばかり。
揺れが収まると、遠くから来ている仲間は、そそくさと帰路に着きました。
後でメールをすると、家路は、涙なくしては語れないほどの、壮絶な旅だったようです。
旅の話は、25日の練習の時に、聞くことになってます
その後、家に帰ってテレビをつけてみると・・・そこには、信じられない映像が
大津波が、次々と家や車を飲み込んで、猛烈な勢いで内陸へと押し寄せていました。
それは、現実に起こっている事ではなく、まるで映画の1シーンのようにも見えました。
その日、都心で勤務する娘は、帰宅難民状態となり、帰ってきたのは深夜2時。
禿げ上がりそうなほど心配しましたが、無事帰ってこれたことが有り難かったです。
それからというもの、一日中津波と被災者と原発関連のニュースを延々と観続ける日々。
情報はテレビが一番早いですからね。
そんな事を数日続けたら、生来の能天気者の私が、なんと!プチ鬱状態に
被災地(者)の悲惨な現状、原発・放射能への不安、余震で常に揺れてる感覚、都心に勤務する家族への心配・・・
極度の不安感とストレスが、知らない間に蓄積していたのでしょう。
それからは、少しテレビと距離を置くようにしたら、徐々に良くなりました。
同じ様な方、居ませんでしたか?
今回の巨大地震は、日本に計り知れない被害をもたらしました。
復興が、何年かかるか分かりません。
でも、必ず復興する!日本の再生の力を信じ、節電・寄付等、小さくても良い、できる協力をしましょう。
3月11日金曜日、午後2時46分に、それは起こりました。
この日は、コーラスの練習日。
私達コーラス仲間は、練習後、いつものようにランチをして、お茶を飲みに阪急の喫茶店に。
それぞれに注文をした直後、突然、横揺れが
それは、いつもの揺れとは違い、次第に大きく、そして長く揺れていました。
客の中には、呆然と立ちすくむ人、いの一番に外に飛び出す人、逃げ出す準備をしてる人、
テーブルの下に頭隠して尻隠さずの人(私です)・・・等等
皆が一様に、いつもと違う地震の大きさに、判断がつかない様子でした。
館内放送では、ビルは耐震構造なので、ご心配なく!と流れるばかり。
揺れが収まると、遠くから来ている仲間は、そそくさと帰路に着きました。
後でメールをすると、家路は、涙なくしては語れないほどの、壮絶な旅だったようです。
旅の話は、25日の練習の時に、聞くことになってます
その後、家に帰ってテレビをつけてみると・・・そこには、信じられない映像が
大津波が、次々と家や車を飲み込んで、猛烈な勢いで内陸へと押し寄せていました。
それは、現実に起こっている事ではなく、まるで映画の1シーンのようにも見えました。
その日、都心で勤務する娘は、帰宅難民状態となり、帰ってきたのは深夜2時。
禿げ上がりそうなほど心配しましたが、無事帰ってこれたことが有り難かったです。
それからというもの、一日中津波と被災者と原発関連のニュースを延々と観続ける日々。
情報はテレビが一番早いですからね。
そんな事を数日続けたら、生来の能天気者の私が、なんと!プチ鬱状態に
被災地(者)の悲惨な現状、原発・放射能への不安、余震で常に揺れてる感覚、都心に勤務する家族への心配・・・
極度の不安感とストレスが、知らない間に蓄積していたのでしょう。
それからは、少しテレビと距離を置くようにしたら、徐々に良くなりました。
同じ様な方、居ませんでしたか?
今回の巨大地震は、日本に計り知れない被害をもたらしました。
復興が、何年かかるか分かりません。
でも、必ず復興する!日本の再生の力を信じ、節電・寄付等、小さくても良い、できる協力をしましょう。
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